ダイバーシティとナショナリズム

 トランプが大統領に就任して1か月が経つ。トランプの政策について、東浩紀はこのように書いている。

”なぜトランプはこれほどひとの心をつかむのか。その肝は「矛盾」にある。…それら矛盾のなかで、もっとも深刻なものが政治と経済の矛盾である。それはときにナショナリズムグローバリズムの衝突と言われるが、正確にはイズム(主義)の衝突ではない。政治と経済の衝突である。政治は境界を守ろうとする。経済はすべてをつなごうとする。これは政治と経済の本質だが…”(AERA 2017/2/6)

 本当にそうか。この論旨に従えば、政治=ナショナリズム、経済=グローバリズムであるが、私はそれぞれの本質がそうであるとは思えない。政治と経済の本質を定義することがこの論の主題ではないから定義はどちらでも良いのだが、政治の本質が境界を守るとするのはあまりに大ざっぱに過ぎる。

 まずは政治と経済の衝突ととらえるのではなく、政策としてのダイバーシティナショナリズムの矛盾について考えるべきではないか。そしてその矛盾はアメリカよりむしろ日本ではっきりと表れていると考える。

 悪く言えばダイバーシティとは、安い労働力を海外から仕入れるということに他ならない。良く言ったとしても多様な働き手が生まれるということは、資本主義的観点においてメリットがあることでこそあれそれ以外ではない。もちろん生物多様性といった意味でのダイバーシティとは別の話だ。

 厄介なのは日本ではダイバーシティナショナリズムがなぜか同時に語られていることだ。排外主義は必ず多様性と衝突する。どちらもを進めることが成立しているのは、それら2つの姿勢が違う担い手によりなされているからだ。あるいは、担い手の2つの面によりなされていると言うべきか。海外の安い労働力を利用する経営者と、外国人による治安の悪化を非難する市民として。

 この点から見れば、トランプの政策は矛盾を是正しようとしているようにすら見える。移民の拒否と、経済における保護政策は治安の回復、国内の経済安定のための政策としては古典的といえるほどに正しい。ただ、実際に治安が回復し、経済が安定するかは別の話である。