読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

物語の起源

 様々な文化の間で、独自に作られたはずの物語が似通った物語になることがある。日本の物語とギリシャ神話を例に挙げると、イザナギイザナミの物語とオルフェの物語は非常によく似ている。イザナギイザナミが死んだ後、黄泉の国を訪れイザナミを見つけ出す。連れ帰ろうとして出口まで来た時、イザナミに「このトンネルを通り終えるまで振り返ってはいけない」という条件を受ける。しかし振り返ってしまったイザナギが見たのは、蛆によって作られたイザナミだったという物語である。ここからケガレの要素へと日本神話は進み、そこからは異なるのだが、対してギリシア神話オルフェウスは妻であるエウリュディケを失い、冥府に下りハデスに会う。エウリュディケを取り戻し出口に向かうが、ハデスに冥府を抜け出すまでは振り返ってはいけないという条件を受ける。果してオルフェは振り返ってしまい、エウリュディケは消え去る。

 あまりに似過ぎたこの2つの物語について、僕は2つの仮説を考えていた。①人間に共通の物語を生む要素があり、どのような文化においても似たような物語が生まれる。②ある1つの物語がある文化で生まれ、それが伝搬していくうちに固有名詞が変わって行き現在の2つが生じた。

 この2つの仮説のどちらが正しいのかを証明する手立てはない。ただ、①を選んだ場合は「人間に共通の物語を生む要素」が何かを考えることになり、②を選んだ場合、歴史的に最も古い文明は何かという問題に取り組むことになる。

 ヴィーコは、主に①を考えていた。主にというのは②の要素も加わってしまっているからだが、それについてはここでは考えない。①について、ヴィーコはこのように書いている。

「民間伝承には公共的な真理動機が存在していたはずである。そのような公共的な真理動機から民間伝承は生まれ、長期にわたって諸民族全体のなかで保存されてきたのであった。」(ヴィーコ、新しい学1、法政大学出版局、p126)

「異教の諸国民は、いずれもが、それぞれのヘラクレスをもっていた。そして、そのヘラクレスはゼウスの息子であった。…最初の物語(神話伝説)は国家制度的なことがらにかんするもろもろの真理を含んでいたにちがいなく、それゆえ、それらは最初の諸民族の歴史であったにちがいない」(同上、p142)

「人間の知性は、生来、一様なものを好む傾向がある。この公理は、物語(神話伝説)にかんしていえば、一般に庶民には、かくかくしかじかの状況のもとでかくかくしかじかの状況のもとでかくかくしかじかの面において有名な人間たちについて、そのような状態のもとにあってその者たちにふさわしいことがらをつうじて適切な物語を作りあげるという習性があることから確認される。物語とは、庶民がそれらを作りあげるさいの対象となる者たちの功績と一致した理念上の真理なのである。」(同上、p144)

 これらの文章から考えられる考え方は、ある文化が生じた共同体で起こったことを記憶するために物語が生じた、という考え方である。ヘラクレスの場合では考えやすい。つまり、村を襲った大蛇を倒した英雄の記憶を保存するために物語が語られ、その英雄にありそうなこと、例えば大岩を取り除くとか、そういった力を持つ英雄譚として物語が固定化・典型化されたということである。日本ではもちろん日本武尊ヘラクレスにあたる。

 ただ、このヴィーコの考え方からすれば、オルフェの物語にも真理動機があった、ということになる。妻が死んだことを悲しみ、例えば森をさまよう。さらに、幻でも妻に再会する。ここまでは理解できる。では、なぜ振り返ってはいけないという条件をオルフェ=イザナギは破ってしまうのか、破ってしまわなければいけないのか。この問題を解明しなくてはならない。

 次に、このような人間の典型化・パターン化による神話・物語の誕生という考え方のもう1つの例がある。フロイトが提出したものである。

「両親が、夢の中では皇帝と皇后、または王と王妃として現れると聞かされると、最初はたしかに意外なことと思われるでしょう。しかし、童話の中には、これに似たことがあるのです。「むかしむかし、王さまとお妃さまがいらっしゃいました」という言葉で始まる多くの童話を聞きますと、むかしむかし、父と母がおりましたという意味にほかならないという洞察がわれわれにぼんやりと浮んでこないでしょうか。」(フロイト精神分析入門(上)、新潮文庫、p219)

 フロイトの考え方は、神話物語の起源は幼児期の家庭生活・成長過程にあるというものである。フロイトの考え方については今後考えなければならないのでここで止める。

 

 さらに考えたいのは、物語のジャンル、という問題である。ラブストーリー・ファンタジー・スポーツ・探偵・SF…、これら物語のジャンルがなぜそのジャンルでなければならないのか、そしてまた典型化されているのか、について考えることで、物語の起源についてより深く理解できることになるだろう。